2011年11月18日金曜日

おだわら文学散歩マップ 小田原駅東口コース紹介

 先日に開催された西海子サロンにて参加者の皆様方が歩いていった文学散歩のコースを写真を交えてご紹介します。こちらは「おだわら文学散歩」マップの内容と同じものになります。今回紹介するコースは小田原駅東口をスタート地点とした小田原駅東口コースになります。

<小田原東口コース>(小田原駅東口スタート)

小田原駅東口⇒松本駅長殉難碑⇒だるま料理店⇒北原武夫家跡⇒井上康文家跡⇒北村透谷生家跡⇒川﨑長太郎小屋跡碑⇒小田原文学館・白秋童謡館

<1>松本駅長殉難碑(小田原駅東口より0.3km/約5分)
昭和16年7月暴風雨の夜、小田原駅第6代目の松本宇一駅長が殉職し、その功彰の碑文を親交のあった菊池寛が書いている。菊池寛の先祖は小田原北條氏に仕えていた。


<2>だるま料理店(松本駅長殉難碑より0.6km/約10分)
川崎長太郎が毎日のように散歩の途中に立ち寄り、ちらし丼を食べた老舗の料理屋。建物は国登録有形文化財で重厚な造りである。


<3>北原武夫家跡(だるま料理店より0.2km/約2分)
明治40年、元陸軍軍医北原信明の長男として、小田原で生まれた。宇野千代のすすめで都新聞社を辞め、作家生活に入る。昭和14年藤田嗣治と吉屋信子の媒酌で十歳年上の宇野千代と結婚。代表作品の「妻」は芥川賞候補となった。


<4>井上康文家跡(北原武夫家跡より0.1km/約1分)
生家は割屋敷で「紺登」という染物業を営んでいた。小学校の頃より詩や俳句に俳句に親しんでいた。大正7年福田正夫が主宰する詩誌「民衆」に参加。その後中央の詩壇で活躍。小田原を愛し、梅を愛し、風土を愛し多くの詩を書いている。


<5>北村透谷生家跡(井上康文家跡より0.3km/約4分)
近代文学の先駆者といわれる北村透谷は、明治元年、祖父が小田原藩の藩医という家に生まれた。翌明治2年藩主大久保忠良は版籍を奉還し大勢の藩士が食禄を失い、父快蔵は昌平学校に学んだ後大蔵省へ出仕した。透谷は小田原に残って厳格な祖父母に育てられた。後に、島崎藤村らと日本のローマン主義の先駆けといわれる「文学界」を創刊。


<6>川﨑長太郎小屋跡碑(北村透谷生家跡より0.3km/約5分)
生家はこの地で箱根の温泉旅館相手に魚屋を営んでいた。文学を志して上京したが生活に行き詰まり昭和13年に小田原に帰った。実家裏の電気も水道もない小屋で、ビール箱を机代わりにローソクの灯かりで名作「抹香町」は書かれた。早川の眞福寺には「川﨑長太郎文学碑」がある。










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